会場:Zoomオンライン会場
大会参加費:会員無料、非会員500円(ただし大学学部生は無料です。)
【非会員の方へ】 非会員の方は事前に参加のお申し込み(500円の参加費の支払いを含む、ただし学部生は無料)が必要です。申し込みにはPeatixというサービスを利用します。下記URLから行ってください。
https://jspss2020.peatix.com/
参加申し込み期限は12月2日24時までです。大会のZoomURLとパスコードは大会2日前にお知らせします。
09:45 一般報告開場
10:00~12:15 一般報告 (→企画趣旨・概要)
12:30~13:30 委員会(※委員のみ)
13:40 総会開場
13:45~14:15 総会(※会員のみ)
14:30 シンポジウム開場
ハロルド・ガーフィンケルが創始したエスノメソドロジーは、現象学と浅からぬ縁を持っている。「人々の方法論」を研究するというエスノメソドロジーの着想は、科学に先立つ生活世界への還帰を主張したエ トムント・フッサールの現象学から、多大な影響を受けている。ガーフィンケルの有名な「違背実験」は、日常生活世界における自明性の構造を主題化したアルフレッド・シュッツの現象学からの経験科学的展開としてなされたものである。人々はそのつどの相互行為を秩序立った仕方で遂行している、というエスノメソドロジーの基本的洞察は、現象学に基づいている。
しかし、エスノメソドロジーが会話分析のプログラムを発展させるにつれて、現象学との関係は疎遠になっていった。ガーフィンケルの後継世代のエスノメソドロジストたちは、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインや日常言語学派の影響の下、人々の「見られてはいるが気づかれていない」方法論を会話データの精細な分析を通して明らかにしていくという方向性をとった。2019年の『社会学評論』70巻1号に掲載された「分野別研究動向」では、ガーフィンケル自身の立場の変化も踏まえつつ、エスノメソドロジーにおける「現象学的色彩の後退」が指摘されている。
このように、エスノメソドロジーと現象学の結びつきは、一見するとかつてよりも弱くなっているように見える。しかし、近年のエスノメソドロジー研究の現場においては、現象学的伝統に属する思考から糧を得ようとする動きも活発に見られる。また、ダン・ザハヴィ『初学者のための現象学』(晃洋書房)でエスノメソドロジーが取り上げられるなど、現象学者の側からのエスノメソドロジーへの関心も高まりつつある。
そこで本シンポジウム「現象学とエスノメソドロジーの現在」では、現象学とエスノメソドロジーの交差点で研究活動をされているお三方を提題者としてお招きし、現象学者とエスノメソドロジストとの協働可能性、両者が相互に学び合える点、問題関心の異同などについて考えたい。現象学者との共同研究に長年携わってこられた前田泰樹氏(立教大学)には、救急病棟の看護師を事例として取り上げつつ、知覚経験の編成をエスノメソドロジーがどのように記述するのかをご提題いただく。ガーフィンケルの「ワークの研究」に基づいて研究を行ってこられた池谷のぞみ氏(慶應義塾大学)には、記述の「ハイブリッド性」を軸に、現象学による問いをどのように展開する試みとしてエスノメソドロジー研究が捉えられるのかについてご提題いただく。精神障害や発達障害の当事者研究のエスノメソドロジー研究を行ってこられた浦野茂氏(三重県立看護大学)には、支援場面を事例に、経験を語るという実践についてご提題いただく。さらに、メルロ=ポンティやガダマーを専門とされる家髙洋氏(東北医科薬科大学)にはコメンテーターを務めていただく。
関連文献
(企画実施責任者:高艸賢)
報告者は、「現象学とエスノメソドロジー」(前田 2020)という論文で、経験の一人称性を強調する現象学の自己規定に対して、経験が「社会」的なものでもあることを論じた。そこでは、とくに感情を例にとりあげ、感情が何らかの規範のもとで理解可能になっていることを示し、続けて、私たちが共在する場面において経験される感情のあり方を例証した。本報告では、とくに共在する場面での知覚経験の編成について着目し、事例として、救命救急センター病棟における看護師たちの実践を分析する。病棟で鳴るインターホンの音を看護師たちはどのように聞いているのか、そのさいに何をどのように見ているのか、どのように行為を協調させているのか。これらの分析を通じて、複数の参加者が共在するもとでの知覚経験と相互行為の編成を探求するエスノメソドロジーのあり方を示す。
客観的事実の成立について、それを科学的方法論に基づいて説明する代わりに、それが現象としていかに 成立することで、そのように認識可能なのかを問うことに関心を持つという点においては、エスノメソドロジーはフッサールの問題意識を共有する。ガーフィンケルは晩年に「ハイブリッド性」概念を用いながら、あらためてエスノメソドロジーの記述がめざすべき基準を提示した。それは、対象となる現象において依拠される「状況的知識コーパス」に依拠した記述、そしてプラクシオロジカルな妥当性の基準を満たすことにより、その現象に関心を持つ実践者(研究対象者のみならず研究者も含む)にとって、「代替的な」ものを提示する。しかしそれは、これまでの選択肢にとって代わるような位置付けにはない。この記述のハイブリッド性を手がかりに、ガーフィンケルが人々による社会的秩序の産出の記述によって社会科学に何を提示しようとしていたのかを考察したい。
この報告では、経験を語るということがどのようなことなのか、精神科関連領域における支援場面における事例にもとづいて考えてみたい。経験や生についてその言語的表現である物語を手がかりにして考えることは、哲学や心理学をはじめとする様々な領域で数多くなされてきた。またそれらの作業はこれらの現象の理解にとどまらず、対人支援上の技法などの応用的成果をも生み出してきた。しかしこれらを見るかぎり、物語に払われたのと同等の関心がそれを語る実践に対しても払われてきたとは言えない状況にある。そして言葉とそれが交わされる状況とが切り離しがたく結びついていることを踏まえると、ここには大きな欠落を見ることができる。たしかに語る実践を射程に入れるためには、一般化の難しい実践状況の細部を検討せざるをえない。しかしだからこそこの作業からは物語についての(そしてうまくいけば経験や生についての)具体的で明確な理解を得ることができるように思われる。この報告ではこうした考えにもとづいて具体的事例によりながら、経験を語ること(語り直すこと)にそなわる道徳的問題について考えてみたい。