会場:Zoomオンライン会場
大会参加費:会員無料、非会員500円(ただし大学学部生は無料です。)
【非会員の方へ】
非会員の方は事前に参加のお申し込み(500円の参加費の支払いを含む、ただし学部生は無料)が必要です。申し込みにはPeatixというサービスを利用します。(詳細は近日中にこのページにてお知らせします)。
10:30 開場
10:45~12:15 一般報告 (→企画趣旨・概要)
10:45-11:30 (報告1・2) ※同時並行のパラレルセッション方式で開催します。各室への移動方法は当日ご案内します。
ルーム1 |
ルーム2 |
司会:家高洋(東北医科薬科大学) |
司会:池田喬(明治大学) |
後期レヴィナスの倫理におけるクィアな存在への喪とその生存の可能性: バトラーのメランコリー論を介して |
無知の習慣と認識的悪徳: フェミニスト認識論と人種の現象学の視点から |
古怒田望人(大阪大学人間科学研究科) |
大橋一平(上智大学文学研究科) |
11:30-12:15
ルーム1 |
ルーム2 |
司会:加國尚志(立命館大学) |
司会:高艸賢(日本学術振興会) |
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「ヘヴン」の向こう側へ:「世界の内に生きること」をめぐる文学的応答 |
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髙橋賢次(法政大学) |
12:30~13:30 委員会(※委員のみ)
13:40 総会開場
13:45~14:15 総会(※会員のみ)
14:30-15:15
一般報告・午後の部(報告5・6)
ルーム1 |
ルーム2 |
司会:榊原哲也(東京女子大学) |
司会:徳久美生子(武蔵大学) |
居ることあるいは居場所の自由のために |
同性愛者のカミングアウト研究への現象学的社会学理論の援用可能性 |
小田切建太郎(立命館大学) |
大坪真利子(早稲田大学) |
ある存在が「あなた」と呼びうるような何者かとして、「わたし」に対して現れる。「他者が現れる」ということがこのような経験/出来事として浮上するとき、そこではすでに体験世界が人称的に分節化・構造化されている。自他の区別が不分明な状態から、「呼びかけ」や「まなざし」のような触発が契機となって自己と他者とが分節化され、やがて他者が「あなた」や「汝」といった二人称的な存在として現れてくる。「他者の現れ」を可能にするこうした人称的な分節化とそれを支える触発のはたらきは、しかし、わたしたちの経験的な現実において、それほど安定的に作動しているのだろうか。むしろわたしたちは、人称がゆらぎ、触発や応答が辛うじて成立するような世界を生きているのではないだろうか。こうした問題意識から、本報告では、「人称」や「応答」の不確かさに着目することで、「他者の現れ」を経験的に問いなおす視座を提起してみたい。
――だれかのからだの傷痕に触れる。
そのとき、わたしは「何に」触れているのだろうか。
他者の現れをめぐって、傷痕や痕跡と呼ばれうる事柄は何事か大切なことを物語っているように思われる。社会学ではとりわけ東日本大震災以降、行方不明者の遺品や被災地という巨大な痕跡をめぐり「不在の」他者と共にある時間を生きる人びとの経験(「あいまいな喪失」「死者たちが通う街」など)が論じられてきた。また、現象学ではE.
レヴィナスによる議論を端緒とし、他者は「わたし」の世界に絶対的に遡及不可能な痕跡として現れ、したがってそれは「不在」を告げるものとして位置づけられてきた。より単純化すれば、社会学では「『不在の他者』の現れ」が、現象学では「『他者の現れ』としての不在」が、論じられてきたといえる。本報告では両者の議論の交点を探りつつ、傷痕や痕跡として/を通じて訪れる他者との「隔てられた」時間が、いまここにいるわたしと他者とのあいだの〈呼ぶ‐応える〉という身ぶりのなかで何を生きようとさせているのか、いくつかの傷(痕)をめぐる語りから再考してみたい。
「重篤な疾患を持つ新生児の家族と医療スタッフの話し合いのガイドライン」というものがある。これは主に、これから生まれるこどもに「重篤な疾患」があった場合に行われる、生命維持治療の差し控えや中止の是非について話し合うための指針である。話し合いに参加するのは主に医療者や親たちとなるが、話し合いの中心となるのは、「こども」であり、決定の根拠はその子の「最善の利益」とされている。ただし、まだ生まれていない、もしくは生まれて間もない「こども」は「最善」の手がかりとなる物語をほとんどもたない。共有できる物語がなければ、医療者や親たちは、なにが「こども」の「最善の利益」となるのかが推定することができず、話し合いそのものが成り立たなくなるはずだが、そうではない。医療者や親の決定によって、「こども」の生命維持治療が差し控えられたり、中止されたりすることがある。本報告では、親や医療者たちが話し合いの中で出会っているのは誰か、について当事者たちの語りを通して記述していきたい。